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2016年4月アーカイブ

福沢諭吉に学ぶ 「賢者の知恵」より (2016/04/21)

福沢は土筆ヶ岡(つくしがおか)養生園(福沢が出資者として支援した結核専門の療養所)から配達されたミルクが不潔だったと事務長宛てに苦情の手紙を書いた。
「およそ大業に志す者は、畢生(ひつせい)(生涯)の千辛万苦(せんしんばんく)(無数の苦労)に成るものなり。
細々(こまごま)百事に注意して、辛うじて目的の半(なかば)に達するの常なり」
事業が盛んになると、次第に注意が行き届かなくなるものである。
しかし成功したければ、それでも細心の注意を払うことが必要だと福沢は説いた。

「適塾」の教育法が、日本を元気にする!
* 緒方洪庵の考え
  ① 笑顔で公に尽くす (尽くす!は、人間のエネルギーの源)
   ・病人を助ける
   ・必要と思われる蘭書を翻訳する
   ・若者を育てる

  ② 師の恩を忘れない (大切な人がおる!は、頑張れる源)

  ③ 蘭学を学ぶけれども、日本を忘れるな

人生について (2016/04/19)

  他人を見下さない  

「心事高尚にして働きに乏しき者は、人に厭われて孤立することあり」と福沢は言う。
 実行力がないくせに、自分の心の高尚さを基準にして他人を軽蔑する人がいる。
しかし、むやみに人を軽蔑する者は、かならず人からも軽蔑される。
お互いに不平を抱き、お互いに軽蔑しあい、ついには変わり者だと嘲笑され、世間から相手にされなくなる。
 自分勝手な理想を基準にすれば、孤立無援のつらい状況に陥ってしまう。

~ 心に残る「諭吉先生」の言葉と行動 ~ (2016/04/11)

 ●  15 歳の頃「喜怒色に現さず」という言葉を知り、それを人生のモットーにしようと 決意する。それ以来、怒って、人の体に触れたことはない。

 ● 適塾で、腸チフスにかかったとき、洪庵先生の「お前の病気は診てやるけど、薬の処方は出来ぬ」という言葉を受けて、私は、真実、緒方の家の者のように思い、 思わずにはおられませんでした。

 ● 私は人に頼み事をしたことはありません。ただいちど、一文無しで中津から大阪に戻ったとき、洪庵先生に正直に打ち明けて、先生の食客にして頂きました。 それ一度きりです。

 ● 鄙事多能(ひじたのう)。つまらぬ仕事を上手に仕上げること。少年の頃、 畳の表替えとか、障子貼りなどを内職にした。あんまも名人。

 ● 「何のために苦学するか、説明できない。ただ難しければ面白い」苦中有楽。苦即薬。

 ● 「物もらい」をしたこともあります。長崎遊学中、節分の日に、友達がほら貝を借りてきて吹かせて、自分はでたらめの経を大声で唱えて、お金やらお米をたくさん頂きました。

 ● 中津から大阪へ出るときの母さんの言葉。「お前もよそに出て死ぬかもしれないが、死に生きのことはいっさい言うことなし。どこへでも出ていきなさい」

日本史上最大の教養人福沢諭吉 (2016/04/01)

日本史上最大の教養人福沢諭吉  
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」
これは『学問のすゝめ』の冒頭にある有名な言葉です。
その部分だけを見て、「福沢は人間の平等を説いたのだ」と言う人がいます。
しかし、福沢は単純な理想主義者ではありません。
 福沢はその後に「されども」と続けている。
されども、世の中には愚者がたくさんいる。
では、賢者と愚者の違いはどこにあるのか?
それは学問を身につけているかどうかである。
ここで「学問」というのは、ただ難しい字を知り、難しい文章を読むようなものではありません。もっと、現実に即したもの、世の中に対する姿勢といったものです。
きちんとしたものとそうでないものを区別すること。
これは「教養」と呼べるようなものです。
そして、真の教養は真の教養人から学ぶしかありません。
だとしたら、わが国最高峰の教養人福沢諭吉に学ばないという法はない。

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