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2015年12月アーカイブ

吉田松陰の言葉④ (2015/12/19)

 松陰は行動することの重要性について、数多くの言葉を残しています。自分の利益を優先するのではなく、人として正しいかどうかをよく考えて行動する。そして、思い立ったら直ちに行動に起こす。そして、日々善行を積み重ね、仮に間違ったことがあれば直ちに改めるという姿勢を貫くことの大切を語っています。

◆君子は何事に臨んでも、それが道理に合っているか否かと考えて、その上で行動する。小人は何事に臨んでも、それが利益になるか否かと考えて、その上で行動する。

◆賢者は議論よりも行動を重んじる。

悔いるよりも、今日直ちに決意して仕事を始め、技術を試すべきである。何も着手に年齢の早い晩いは問題にならない。

◆士たるものの貴ぶところは、徳であって才ではなく、行動であって学識ではない。

◆末の世において道義を実践したならば、必ずその時の人々から極端だといわれるであろう。もしまた、世人から極端だといわれるくらいでなければ決して道義ではないのであって、すなわち世俗に同調し濁った世に迎合したものにすぎない。

過ちがないことではなく、過ちを改めることを重んじよ

◆利を疎んずるということは、必ずしも富を厭い貧を欲するということではない。貧富によりて少しも心を乱さないということである。

◆悔いるよりも今日直ちに決意して、仕事を始め技術を試すべきである。何も着手に年齢の早い晩いは問題にならない。

◆平凡で実直な人間などいくらでもいる。しかし、事に臨んで大事を断ずる人物は容易に求めがたい。人のわずかな欠陥をあげつらうようでは、大才の士は、もとめることが出来ない。

◆法律をやぶったことについての償いは、死罪になるにせよ、罪に服することによってできるが、もし人間道徳の根本義を破れば、誰に向かってつぐないえるか、つぐないようがない。

◆一つ善いことをすればその善は自分のものとなる。一つ有益なものを得れば、それは自分のものとなる。一日努力すれば、一日の効果が得られる。一年努力すれば一年の効果がある。

 最近は全くこの逆の状況が目につきます。行動の基準は〝自分の得になるか損になるか〟であり、努力をせずに大きな成果を求める、言っていることとやっていることが一致していないという傾向が強いようです。今一度、松陰の言葉を噛みしめていきたいものです。  《続く》       (中尾直史)

松下幸之助氏の志と点数ではかれない能力 (2015/12/09)

s-P1070046.jpg 前述のように、志の道の最初の石碑は松下幸之助氏の言葉ですが、同氏は自らの著書の中で次のように語っておられます。
〝志を立てよう。本気になって、真剣に志を立てよう。
生命をかけるほどの思いで志を立てよう。志を立てれば事はもはや半ばは達せられたといってよい。
 志を立てるのに、老いも若きもない。そして志あるところ、老いも若きも道は必ずひらけるのである。
 今までのさまざまな道程において、いくたびか志を立て、いくたびか道を見失い、また挫折したこともあったであろう。しかし、道がない、道がひらけぬというのは。その志になお弱きものがあったからではなかろうか。つまり、何か事をなしたいというその思いに、いま一つかけるところがあったからではなかろうか。
 過ぎ去ったことは、もはや言うまい。かえらぬ月日にグチはもらすまい。そして、今まで他にたより、他をアテにする心があったとしたならば、いさぎよくこれを払拭しよう。大事なことは、みずからの志である。自らの態度である。千万人といえども我ゆかんの烈々たる勇気である。実行力である。志を立てよう。自分のためにも、他人のためにも、そしておたがいの国、日本のためにも。〟?

松下氏は数多くの書物を著わしておられますが、これらを熟読すると「感謝する」「お詫び」「相手の立場に立つ」「心配り」「共感する」「あきらめない」「忠恕(ちゅうじょ)」「我慢する」「やりぬく」「明るい」「前向き」「素直な心」「反省する」「受け入れる」「熱意を持つ」「自分に厳しい」「無私」といった言葉が随所に出てきます。このようなものはすべて〝点数ではかれない能力〟ですが、同氏はこれらの能力が桁外れに大きかったということが分かります。  (中尾直史)

「志の道」自分には自分に与えられた道がある (2015/12/08)

自分には自分に与えられた道がある
天与の尊い道がある
どんな道かは知らないが
他人には歩めない
自分だけしか歩めない
二度と歩めぬかけがえのないこの道

 人生は、よく旅にたとえられる。この世に生まれ落ちたその日から、生命を終える日まで、毎日続く長い旅である。そして、その道中では、新しい体験を行い、その度に新しい自分を発見してゆく旅である。
 その旅の持つ意味はう、自分自身で決めてゆくべきものである。道すがら、少しきつい坂道になったり、ぬかるんだところに差し掛かると、その道に対して、悪態をつきながら歩む人もいるだろう。一方、疲れ切ってへとへとになりながらも、路傍に咲く小さな花に喜びを覚え、天に感謝を捧げつつ歩む人もいるだろう。そのどちらを選択するかは、道の問題ではなくて、その道を歩む人自身の問題なのだろうと思う。
 ならば、各々の人生の旅を、喜びにあふれ、有意義なものとするために、私たちの心の側を見直してゆく事も必要であろう。
 人生には、苦しいこともあるだろう。つらいこともあるだろう。途方に暮れてしまうこともあるだろう。しかし、どんなことがあっても、それは、すべて自分の人生。他の人には決して歩めない、また、元に戻って歩み直すということも出来ない、そのような天から与えられた自分だけの人生なのである。だから、その尊さを感じながら、自らの心意気によって、」努力によって、自らの人生を輝かせてゆくべきではないか。
 今の日本には、余りにも否定的な言葉があふれすぎていると思う。親も駄目、子供も駄目、友達も駄目、会社も駄目、こんな国も駄目...そして、駄目駄目と言い続けている内に、"自分自身も駄目"となってしまい、そんな自分は、生きている値打ちなど少しも無いのだなどと、ちっぽけな世界の中に閉じ籠り、窒息してゆく人たちが余りにも多くなってきている。
 そうじゃない。この世の中のものが、何の意味もなく、何の価値もなく、存在しているはずがないではないか。その対象に意味がないと決めつけているのは、自分自身の気持ちであって、天地自然は、決してそんな狭量なものじゃないと思う。

      どんな時も、人生には意味がある。
      なすべきこと、満たすべき意味があたえられている。
      この人生のどこかに、
      あなたを必要とする"何か"があり、
      あなたを必要とする"誰か"がいる。
      そしてその"何か"や"誰か"は、
      あなたに発見されるのを"待って"いるのである。
                        (諸富祥彦"生きてゆくことの意味"より)
 この松下幸之助氏の言葉を刻んだ第一碑より、「志の道」は始まる。各々が人生を旅する気持ちで、この先約2Kmの道を歩いて欲しい。そして、1つでも2つでも良い。心の中に響く言葉を、人生という旅の伴侶として、心の中でしっかりと抱きしめて頂きたいと、こころから願うものである。
                                         (土岐功明)

松下幸之助氏の志(中尾直史) (2015/12/07)

s-P1040400.jpg 古今東西を問わず、偉人に共通しているのは〝ゆるぎない志〟です。
 志すというのは心がある方向を目指すという意味の〝心指す〟からきていると言われています。「志」という字は「士」と「心」から構成されていますが、士というのは「之」を表しており、心が動くつまり、ある方向を目指す気持ちということです。
 志というのは、人のため社会のために貢献するという強い思いです。日本の偉人と言われる人の伝記や考え方の中にも、この志という言葉がいたるところに出てきます。
事業を創業され成功された人は例外なく志の大切さを訴えておられますが、今回は経営の神様と言われた松下幸之助氏の志について取り上げたいと思います。
 私が最初に校長として赴任した大阪府立芦間高等学校は、守口高等学校と守口北高等学校が再編整備されて創設されましたが、守口高等学校はかつて松下学園として同氏が校長をつとめられていたこともあって、同氏から寄贈された『立志』という記念碑がありました。この記念碑は現在芦間高等学校に引き継がれていますが、松下氏は志について、次のように語っておられます。
「ただぼくが成功できたのは、最初にこれをやろうと思ったことは、志を変えなかったからや。六十五年間、商売というものを一回もやめなかった。もうそれ一筋にやってきたわけや。金が払えん、非常に困ったというときでも、一向に迷わんとやってきた。それでついに今日の松下電器ができたわけや。・・・・・"志"を立てることに、お金も、学歴も、いらない。」
 心しておかなければならないのは、志というのは公の心がベースになければならないということです。お金儲けをしたい、有名になりたいといった〝野心〟や〝野望〟といった私心とは全く異なるものです。〝自分のためだけに〟という考え方が強すぎると、必ず他人を犠牲にすることに繋がります。そして、このような自己中心的な考え方で行動していると、一時的な成果に結びつくことはあっても人心が離れていきます。私達が人生を送る上で、心がけておかなければならないことであると思っています。                             (中尾直史)

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