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2016年5月アーカイブ

三女が語る素顔の坂村真民 (2016/05/31)

s-P1070635hanahiraku.jpg 三女である西澤真美子さん(真民記念館西澤孝一館長の妻)の話からは素顔の坂村真民の姿が浮かんできますので紹介します。

〝念ずれば花ひらく〟の碑は全国に建てられていますが、父は「真言碑」と呼んでいました。碑にする石にはいろんな大きさがありますから、まず書が刻まれる部分の寸法を測って、その大きさの紙を切り、自分で念を込めて書くということを大事にしていました。最初の碑が出来た時、私は21歳でしたがそれまで私は父の詩の世界に触れたことはなかったため、ただの国語の教師だと思っていました。

父は昭和26年から亡くなる前の歳まで書き続けた796冊のノートを残しています。父がどのような時代を生きてきたのか、詩を作った背景を知るために1年半かけて読んでみました。このノートは自分自身が今日何を考え、どのような本を読んで、それをどのように受けとめ考えたか、その中から生まれてきた詩を書き留めて、何日かしてその詩を推敲して、また違った詩を書くといったことの積み重ねになっています。そして、よく書いた時期には1冊が10日ぐらいで終わってしまっています。

これらからは「嬉しい時には嬉しい歌が生まれ、悲しい時には悲しい歌が生まれる。しかし、辛い事、悲しい事があっても、できるだけ嬉しい歌を作りたい」という姿勢がうかがわれます。また、人は歳を取ると経験済みだという目で見てしまいがちですが、すべてのものを初々しい眼で一生懸命見ており、純真な心根が感じられます。

特に、90歳代を越えてきてからは 「しっかりしろ、真民 まだまだこれからだ」という言葉が毎日のように出てきます。毎日反省しながら、もっといい人間になる生き方を求めています。毎日、ろうそくを付けてお線香をあげていますが、同時に自分の心にも火を付けています。

そして、自分からTVに出たりして、詩を人に知らせようとはしませんでしたが、人づてに広がっていき、父が直接書いた「念ずれば花ひらく」の石碑の数は現在737基になっています。

父は鳥が好きで、亡くなる前の正月には色紙に「鳥になる」と書いていました。これが2月には「国境のない鳥になる」に変わり、3月には体調を崩してしまいましたが、国境がないと争いがなくなるということで、とても大切に思っていました。父が全集を出した時に扉に書いていた言葉を見ると父の生き方が解るような気がします。これらは「縁に生きる」「和に生きる」「願いに生きる」「いつ、意気に生きる」「守られて生きる」「共に生きる」「善に生きる」です。

また、「相田みつを氏」や「森信三氏」との交流等についてもうかがい知ることができます。現在、坂村真民記念館においては開館4周年記念特別展として『森信三と坂村真民の世界』が開催されています。  (中尾直史)

坂村真民   随筆集 念ずれば花ひらく (2016/05/17)

平成14年1月にサンマーク出版社から『随筆集 念ずれば花ひらく』の復活本が発刊されました。

 

念ずれば花ひらく   

苦しいとき 母がいつも口にしていた

このことばを 私もいつのころからか

となえるようになった

そうしてそのたび

わたしの花がふしぎと

ひとつひとつ ひらいていった

 

真民の母親は36歳で未亡人になり、それからは5人の子ども達を女手一つで育てるという悪戦苦闘の生活でした。

真民はこの本のなかで〝念ずれば花ひらく〟というのは、そうした母の念仏といってもよい自己激励の言葉であり、子ども達を育て上げようとする悲願の念誦(ねんじゅ)であった。そして、このありがたさが本当にわかるようになるまでは、私も幾多の試練を受けねばならなかった。かつてない大きな戦争、かつてない敗戦、その間、3人の男の子は3人とも赤い招集令状をもらって出て行ったが、私達が3人とも無事に帰ることができたのは母の念力であったと思う、と述懐し、母親に関する多くの詩を残しています。

真民は八字十音の真言として、胸に刻んで唱えてきた〝念ずれば花ひらく〟という言葉を一人でも多くの人に伝えたいと念じていると述べています。

(中尾直史)
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坂村真民 二度とない人生だから (2016/05/15)

偉大な日本人 坂村真民 ~真民五訓          

 

坂村真民は自らの体験を通じて〝二度とない人生をいかに生きるか〟ということを多くの人達に語りかけています。

 

二度とない人生だから

一輪の花にも 無限の愛をそそいでゆこう

一羽の鳥の声にも 無心の耳をかたむけてゆこう

二度とない人生だから

まず一番身近な者たちに できるだけのことをしよう

貧しいけれど こころ豊かに接してゆこう

二度とない人生だから

つゆくさのつゆにも めぐりあいのふしぎを思い

足をとどめてみつめてゆこう

二度とない人生だから 

のぼる日しずむ日 まるい月かけてゆく月

四季それぞれの星空の光にふれて

わが心を洗い清めてゆこう

 

また、真民は全詩集八巻を出していますが、この中身は、一巻『縁に生きる』、二巻『和に生きる』、三巻『願いに生きる』、四巻『いつ、意気に生きる』、五巻『守られて生きる』、六巻『共に生きる』、七巻『善に生きる』、八巻『祈るに生きる』となっており、この中のどの詩を取り上げても子ども達にもわかるような平易な表現になっています。

 更に、人生を送るにあたって真民五訓と言われる五つの行動指針を示していますが、

これらは、

一、くよくよするな 二、ふらふらするな 三、ぐらぐらするな 四、ぼやぼやするな

五、ぺこぺこするな  てす。    (中尾直史)

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坂村真民の生い立ち (2016/05/12)

s-P1070635sekihi.jpg坂村真民は明治42年(1909年)、熊本県玉名郡府本村(現在の荒尾市)荒尾市に5人兄弟の長男として生まれました。父親は小学校の校長でしたが、真民が8歳の時に急逝したため、母親の手で育てられました。

〝念ずれば花ひらく〟という言葉は女手一つで苦労を重ねながら5人の幼い子ども達を育てた母親が唱えていた言葉を詩にしたものです。

  中学卒業後は、伊勢の神宮皇學館に入学し、五十鈴川のほとりの美しい自然の中で下宿生活を始めますが、これが詩の心を育むことになり、短歌を詠み始めました。その後、25歳で朝鮮に渡り教職に就きますが、やがて終戦を迎え、朝鮮から引き揚げ、愛媛県の三瓶町で高校の教師としての生活を始めます。そして、次第に短歌から詩に傾倒していきます。その後、毎年のように自費で詩集を出版し続け、53歳の時に『詩国』を創刊します。

そして、一遍上人の生き方に惹かれ、詩の創作を自らの人生の修行と位置付け、58歳の時に砥部町の重信川のほとりに住居を構えます。真民の一日は午前零時に起床し、午前3時半に重信川の川原に行き暁天の祈りを行なうことからスタートしました。

 昭和45年(1970年)、京都の常照寺に〝念ずれば花ひらく〟の石碑が建立されたのを皮切りに、真民の詩が刻まれた石碑が各地に建立され、現在は世界で700以上に上っています。

そして、平成元年(1989年)からは真民を囲んでの定例会が開催されることになり、平成16年(2004年)詩国の発刊が500号を迎えるまで続きます。 この時真民は95歳になっていました。その2年後の平成18年(2006年)、真民は永眠しますが、最後に認めたのは「念」という字でした。

 私も時々真民の詩を紐解いていますが、実に分かりやすい言葉づかいで、何故か心が安らぎます。これがまさに癒しの詩人と言われる所以だと思っています。(中尾直史)

坂村真民 (2016/05/10)

s-P1070592sakamurakinenkan.jpg愛媛県の県庁所在地である松山市の南に隣接している砥部(とべ)町には坂村真民記念館があり、同氏の作品が数多く展示されています。この砥部町は焼物のまちとしても知られており、私も四国に勤務していた関係で、何度か足を運び、坂村真民の〝念ずれば花ひらく〟という言葉に出会いました。社会に出て、物事を成就するためには強い思いを持つことが大切であるということを多くの先人達の言動を通じて学んできていましたが、この言葉は私の心に深く沁みわたり感動したことを覚えています。その後、教育の仕事に従事するようになり、生徒達に朝礼や卒業式の中でもこの言葉を引用して志の大切さを伝えてきました。

坂村真民は自然への深い愛情と、〝優しくあれ、清らかであれ、強くあれ〟と人間としての生き方をうたった詩を数多く残しています。そのため〝癒しの詩人〟として老若男女から「真民さん」と親しみを込めて呼ばれています。

 この記念館がオープンしたのは東日本大震災が発生した1年後の平成24年3月11日です。 真民さんの詩を若い人たちに知ってもらいたいという思いで、元学校があった敷地に建設されました。真民さんにふさわしく、素朴で清澄な空気に満ちた場所で、館内には直筆の詩が数多く展示されており、これらを通じて、真民さんの生い立ちや人柄に触れることができます。是非一度訪問していただきたいものです。

人生の参考になる詩が沢山ありますので、印象に残った何点かを順次紹介していきたいと思っています。    (中尾直史)

志シリーズ 第4碑 坂村真民 (2016/05/04)

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愛媛県四国中央市新宮町(霧の森)にある志の道(美しい日本の歩きたくなる道500選)にOAK TREEを主宰する

小野晋也先生が選んで造られた12の碑がある。

今回は第4回碑の坂村真民のご紹介です、(ご存じの方も多くおられると思います)

念ずれば花ひらく

"仏性というものを

わたしは

花と言っている。

そんな目で

わたしは

仏さまが持っていられる花を

見つめるのである。

そのようなわたしだから

詩を作り出したのも

なんとかして

自分の花を咲かせたいからであった。

わたしは

詩人になろうと思って

詩を作ってきたのではない。

詩を作ることによって

自分の花を咲かせようと

思ったからである。

だから

「自分の花を咲かせよう」というのは

わたしの懇願であり

わたしの生活のすべてなのである"

 

 これは、坂村真民先生ご自身の詩集「自分の花を咲かせよう」のあとがきに書かれていた言葉である。

 私が、先生に一度お会いをしたのは、もう随分前のこと、新居浜市に「念ずれば花ひらく」の石碑が建立され、除幕式が行われた時のことである。そのとき、ご挨拶に立たれた先生の、物静かに、しかし、心の底から力強く語られる言葉に、人生の雪風を越えて自分の花を咲かせてこられた、先生の生き様を感じたのである。

 「自分の花をさかせよう」・・・大きな花は大きな花なりに、精一杯自らの花を咲かせれば良い。小さな花は小さな花なりに、自らの持てるものを思い切り生かして花を咲かせればよい。ヒマワリは大輪の花だからといって、頑張る必要はないし、スミレは路傍につましく咲くからといって、卑屈になる必要はない。人は無理矢理、人真似をして、滑稽な生き方をすることはない。自分の持てるものを、存分に生かして生きればよいのである。

 この"自分の花を咲かせよう"という言葉は、心の中で静かに何度も反芻してみると、日常生活の中でいつしか形づくられてくる捉われ心を越えて、素直に心の中に自分の人生のイメージが限りなく広がり、生きる力が沸き上がってくる気がしてくる不思議な言葉である。

次回は徳増須磨夫先生(元 住友海上火災保険において社長・会長を歴任された方である)


土岐功明の信愛・師事する小野晋也先生が主宰するOAK TREEの志の集い2016が5月28~29日と下記の要領で開催されます。参加して見ようと思われる方は是非小生までお声かけ下さい。

●開催日時・・・5月28日(土)~29日(日) [1泊2日・宿泊は、高知市を予定]           

●集合場所・・・道の駅「霧の森」駐車場(高速高知道新宮インターチェンジすぐ)

●日程概要

・5月28日(土)

13:00       「霧の森」駐車場の集合

13:00~14:00 「志の道を歩く会」

14:30~15:00 開会式と自己紹介・植樹式

15:00~16:00 若葉書院などの清掃活動

16:00~17:00 講話「幸福とはなにか」

17:00~17:30 参加者の意見交換

17:30~18:30 高知市に移動

19:00~21:00 高知市内で優勝懇談会(その後、高知市内で宿泊)

・5月29日(日)

 6:00~ 9:00 朝食、「高知市朝市」など自由散策

 9:00~12:00 高知市内の人物を訪ねる町歩き(訪問先はこれから検討)

12:00~13~00 昼食

13:00~15:0 「自由民権記念館」見学    参加者所感発表・開会式 

土岐功明   連絡先  090-3270-2668                                                

日本の偉人について (2016/05/02)

本塾では衆目が認める日本の偉人の一人である福沢諭吉先生の『半学半教』という理念を活動の柱に位置付けていますが、福沢先生の生きざまを詳しく学ぶにつけ、新しい発見があるように感じています。福沢先生のみならず、偉人と言われる人の考え方や行動には学ぶべきことが随分多くあり、私達の生き方のお手本になるのは間違いがありません。しかし、私自身もこの年齢になるまで、世の中のために大きく貢献されたにも関わらず、名前すら知らなかったという人も数多くおられます。しかし、これは私に限ったことではなく、今の日本人に共通した状況ではないかと思います。

振りかえると、私達が幼少期の家庭には書棚に何冊もの「偉人伝」があり、これらを読むのが楽しみでした。また、両親からも偉人の話をよく聞かされたものです。しかし、戦後の公教育の中で、日本の歴史や伝統精神、文化、宗教といったものが排除されてきた結果、近年学校や家庭においても、偉人について語られることはほとんどなくなってしまいました。このため今は多くの日本人がわが国の偉人についての知識を持ち合わせていないということになっています。そして、子ども達に「尊敬する人物は誰ですか」という質問をしても最も身近な親を挙げたり、誰もいないと答えるケースが圧倒的に多いようです。つまり、生き方のお手本となる人がいないのです。

私も古今東西の偉人と言われる方の生き方について自分なりに学習してきましたが、残念なことに、偉人と言われる方に直接お会いして指導を受けることはできないため、書物や講話が中心になっています。これらの人達に共通しているのは、例外なく自分のことよりも人のため、世のため、国のために尽すという〝高い志〟です。

このホームページではこれまで『偉大な日本人』として吉田松陰について紹介してきましたが、順次取り上げていきたいと思っています。    (中尾直史)

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